1年に1回更新されるブログはブログと言うのか(1年3ヶ月ぶり)
妻が最後に投稿してから,はや1年以上が経過してしまった....
始めたころはチョコチョコ更新していたけど,色々あってこのブログは全く更新せず,,,,
過去のブログを見返してみると,それぞれが懐かしい思い出になっていて,
「ブログっていいものなのかも,,,」
という気分になったので,また書く気になった.笑
さて,妻が最後に更新した2019年9月からの1年2ヶ月何があったのか振り返ってみる.
離婚,,,,したわけじゃなく,仲良くやっている.
妻は2019年3月まで東京の西の外れの方の病院にいた.
一方で自分は東京の真ん中に近いあたりの病院.
いわゆる週末婚状態.
休みの日にはドライブがてら1時間半くらい妻の病院の近くまで遊びにいくことが多くて,駅の近くの場末のスナック(マジで悪口じゃなく,事実)に飛び込んだり,おでん屋のような居酒屋にいったり,お気に入りの焼肉屋を見つけたりした.
ほんと,ごぢんまりとした駅で,秋から冬になるぐらいで寒くなりかけの夜,
街灯がポツポツある感じの所をサミーサミー言いつつ飲み歩いたのが懐かしいなあ.
妻は産婦人科医で,けっこう当直も多くて忙しそうだった.
鬼上司(女医)にイジメられて辛そうだったなあ,,,
しかし確実にメンタルが強くなったようだった.
2020年4月になって,妻は東京の真ん中くらいの病院に戻ってきた.
自分はそのまま東京の真ん中くらいの病院だから,同居生活が再開した.
コロナ渦だったからほぼ外出はできず.
その代わり,こんなこと言ったら失礼かもしれないが,あまり(hotonndo,mattaku)料理をしなかった妻が料理をするようになった.
もちろん家事は分担するんだけど,とにかく「おうちごはん」が増えた.
妻が意外にも料理上手であることがわかった.
隠れた才能ってやつだ.手際もいいのはいつも手術しているからなんだろうか.スゴイ.
いつかまた読む時に振り返るためにコロナのことを書くけど,病院は陽性者がたくさん入院していてかなりストレスがかかった.詳細には書けないけど,大変な時期もあったなあ.白装束みたいな格好をして,陽性患者を順々に回診したり,みんなのPCR検査をとって回ったりした.重症で辛い患者,軽症なのに退院できなくてイラつく患者,自分はコロナなんじゃないかと鬱々とした患者など,あの時期はカオスだった.年配のドクターが,「働き始めてから自分の一番死が近い気がする」と言って働いていた.
自分は何かできたのかというと,せいぜい医療者の歯車の一つになったくらいだ.
7月になって,自分は神奈川県の南の方にいくことに.
また週末婚がはじまった.
この3ヶ月は集中治療 / ICU にいたから,重症の患者とか術後の患者を診た.
尊敬できる上司,先輩に恵まれたのがよかった.看護師さんたちも最高だった.
自分の内科医として目指す医師像とか,後進を育てるときのスタンスとか,リーダーシップとか,そういうものも合わせて勉強できたような感じがした.
休みには湾岸線をドライブして東京に帰っていたのが懐かしい.すごく走りやすいし,景色がきれい.ベイブリッジあたりから見る夜のキラキラした横浜とか,海沿いの巨大な工業地帯の明かりとか.
8月にはお互いの誕生日があったから,新宿のパークハイアットに初めて泊まった.
人生で利用した中で,最高にラグジュアリーなホテルだった.....
晩ご飯タカスギテビビッタ.美味しかったけど.
いまは千葉で救急 / ER にいる.
こっちはこっちで刺激的だ.そしてまだまだコロナの影響は大きい.
どれだけ勉強しても,知らない事とできない事だらけで嫌になる(たまに).
それが楽しいのもあるけど,自分の無能さにウチヒシガレル(頻繁に).
まとめて書くとよくわからない感じになるし,写真も選んで載せるのメンドクセから,
何年後かに読み返して懐かしい気分味わうために,またちょこちょこ書いていこうかなー
誰も読まないだろうし,読んでもしょうがないだろうし,オンラインに公開する意味があるのかとも思うけど,まあイイノダ